2013年6月25日火曜日

隙間から見える何か。


| higashi-azabu | jun. 2013 |

備忘録。

以前から、ビルとビルの隙間から見える向こう側の風景が気になっていました。ときどきカメラを構えてみることもしています。しかし、自分の目で見た印象と、撮った写真の印象が一致しない。なぜだろう。

歩いているとき、ある瞬間だけ向こう側が見える。
ほんの少し視点がずれても、ビルの壁しか見えない。
目の端に画像が引っかかるのは一瞬。
あれ? と思って足を止めても、そのときにはもう見えない。
頭の中で映像を巻き戻してみる。
じっさいに少し戻ってみる。

つまり、私の体験、印象は、時間と空間のふたつの次元によって作りあげられているのだから、特定の場所にカメラを据えて撮影しても元の体験とはまったく別のものになってしまう。
それは例えていうならサブリミナル的ななにかなので、一瞬を固定して画像を取り出すことには意味がない。

そんなことを考えてみました。

* * *

東京タワーの足下。


| tokyo tower | may 2010 |

ついこのあいだまで、タロジロたちがいた場所が、こんなオブジェになってしまいました。


| tokyo tower | jun. 2013 |

ナサケナイ、カナシイ……。


2 件のコメント:

  1. ノッポンの後ろに花文字で55thと書いてあったんですね。
    開業55周年。目の検査みたい(笑)。今は花が散ってもう読めません。

    記事の趣旨とはちょっと違いますが、頭の中で作り上げてしまう
    イメージとして、近頃こんなことが気になります。

    我々の仕事もスチールの写真と同じで1枚の絵の中にまとめるもの。
    でもお客さんの中には、ムービーのような考え方をしている人が
    意外に多いんですね。動かないとわかっているにもかかわらず
    1枚の絵として考えがまとまってないんです。

    つまり各要素の位値、大きさ、形(角度も含め)が彼らの頭の中では
    時間軸や座標によってそれぞれ不安定なままバランスをとっている。
    それが頭の中でならひとつの形に収まっているけれど(錯覚ですが)
    それは1枚の絵にアウトプットできるはずがないものなんですね。

    これは何でも映像で見るのが当たり前になっている昨今の弊害なのか
    経験不足なのか。でも増えているような気がするんです、そんな人が。

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  2. やっとかめさん、おはようございます。

    >ノッポンの後ろに花文字で55thと書いてあったんですね。
    ああ、気がつかなかった!

    人間の眼(脳)は見たいもの以外を排除しますし、体験というのは時間と空間とで成立しているので、自然な話だとは思います。
    ただ、今までですとそれをスチルで表現するのがあたりまえだったものが、手軽に動画を見る、扱えるようになって、脳内でスチルに変換する作業をしなくなった……という説を考えてみました(笑)。

    あるいは、ケータイやスマホで手軽にスチルを撮れるようになって、自分の体験と写った映像とのギャップに気づいたとか。

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