2013年6月13日木曜日

多摩美術大学美術館:コドモノクニへようこそ
01:初山滋《ハヘトリデー》




絵が歌いだすワンダーランド コドモノクニへようこそ
2012年6月30日(土)~9月2日(日)
多摩美術大学美術館

“子ども達に本物を、芸術性高きものを”をモットーに大正11年に生まれた月刊絵雑誌、コドモノクニ。コドモノクニからは詩人北原白秋、野口雨情や作曲家中山晋平らによって数々の童謡の名作が生まれ、挿絵では武井武雄や岡本帰一、清水良雄、初山滋、本田庄太郎、川上四郎、深澤省三、蕗谷虹児らが活躍し、画家、文学者、作曲家によるコラボレーションでした。本展は創刊時に編集長だった鷹見久太郎の視点を読み解きながら、コドモノクニという絵雑誌のメディアが果たした役割をみていきます。


ちょうど一年前の展覧会です。

なにか書こうと思って調べ物を始めたのはいいのですが、関連して訪ねてみたかった資料館になかなか行けないまま、放置していました。先日その目的が果たせたので、ようやくアップするという次第です。

編集者・鷹見久太郎


『朝日新聞』1921年(大正10年)12月15日、朝刊3頁。

『コドモノクニ』は1922(大正11)年1月に創刊し、1944(昭和19)年3月の終刊までの23年間に287冊を刊行した月刊の絵雑誌です。大判厚手紙、オフセット5色刷、オールカラーという、当時としては非常に贅沢な体裁で、この雑誌で多くの画家、童画家たちが活躍しました。『コドモノクニ』の画家たちを取り上げた展覧会は多くありますが、編集者・鷹見久太郎(1875年~1945年)の仕事に焦点を当てたという意味で、この展覧会は新しいものだったと思います。

鷹見久太郎については、1926年(昭和元年)の読売新聞記事に詳しく書かれています。



雑誌界の人物
(三)……婦人畫報の編輯主幹
鷹見久太郎氏


茨城縣の人。明治三十二年頃早大文科を退き、一時鄕里で教鞭をとつていたが、明治三十八年矢野文雄の近事畫報社に入る。同社解散と同時にその事業を繼承した國木田獨歩の獨歩社に入社。獨歩社また解散するや鷹見氏は東京社を組織して其の事業を續けた。丁度ことしが創刊二十年。廿年一日のやうに、婦人画報のため氏は働いてきた。その雑誌報國の至誠、正さに斯界の元勲として記念さるるべきだ。齢五十有一。氏は月々の雑誌が出来上がる毎に一人の愛児を擧げたやうに喜ぶ。しかしその喜びも束の間でいつもそれに自己の理想と相容れない點のあることを發見して悶々と惱みつゞける。その惱み、廿年來のその生みの惱み、そこに『婦人畫報』の新生命が月々芽んでゆくのであった。氏は曰う……編輯の理想と販賣の現実とは曾て握手をしたことがない。理想を没した多賣主義の編集方針なら販賣に好都合だらうが、天下の婦人はそれがために堕落し、好奇と挑發にのみ打興するであらう、さらば操觚者の無責任を如何にすると[欠落]氏には流石舊水戸藩の氣槪がある。心底ではいつも浮華なジャーナリズムを排して止まぬのだ。

『読売新聞』1926年(大正15年)6月10日、朝刊4頁。


氏は月々の雑誌が出来上がる毎に一人の愛児を擧げたやうに喜ぶ」「理想を没した多賣主義の編集方針なら販賣に好都合だらうが、天下の婦人はそれがために堕落し、好奇と挑發にのみ打興するであらう」「心底ではいつも浮華なジャーナリズムを排して止まぬ」。
鷹見久太郎は、非常に理想主義的な編集方針を貫いた人物でした。しかし、残念なことに、彼自身「編輯の理想と販賣の現実とは曾て握手をしたことがない」と述べているように、彼は優れた編集者ではあっても、経営者、販売者としての才能は欠けていたようです。両者のバランスをとることができなかった。

1924(大正13)年に東京社の経営を仕切っていた島田義三が没した後、東京社は経営難に陥り、やむなく1931(昭和6)年に事業を武侠社の柳沼沢介に譲渡します。鷹見が離れたあとも東京社は続き、『コドモノクニ』は1944(昭和19)年3月に終刊に至りますが、それは経営の問題ではなく、戦争のためでした。東京社を離れた鷹見は1933(昭和8)年に子供之天地社を設立し、絵雑誌『コドモノテンチ』を創刊します。しかし、ライバル誌との競合もあり、1934年(昭和9年)には休刊してしまいました。
鷹見元本男「出版・編集サイドから見た絵雑誌『コドモノクニ』」本展図録、6〜10頁参照。


『読売新聞』1933年(昭和8年)4月12日、朝刊9頁。

「東京社」は戦後「婦人画報社」となり、1999年にアシェット社に買収された後、2011年にアシェット社がハースト社に買収され、「ハースト婦人画報社」となっています。

初山滋《ハヘトリデー》1936年

『コドモノクニ』にはすばらしい画家たちが、無数の素敵な作品を残しています。個人的な好みは、岡本帰一、初山滋、本田庄太郎、武井武雄。東山新吉(魁夷)の童画も大好きです。

東山新吉については、靖国神社の祭礼を描いた童画について触れたことがあります。


さて、展示作品のなかでもとくに印象的であった作品は、初山滋の《ハヘトリデー》(1936年/昭和11年)です。



絵はもちろんのこと、テキストも楽しい。


“ハヘトリデー”

ハヘハ ヰナイカ アア ヰタヰタ
キミノ アタマノウヘニヰタ
ヤッ パタン
アイタッタッ ニゲチャッタ、

ハヘハ ヰナイカ アア ヰタヰタ
ボクノ アタマノ ウヘニ ヰタ
ヤッ コツン!
アイタッタッ ニゲチャッタ、

ハヘトリデー ダ ハヘヲ トロ。



この素敵な絵、同じ初山滋の『たべるトンちゃん』(金蘭社、1937)を彷彿とさせます。


と思ったら、「トンちゃん」(1937)は「ハヘトリデー」(1936)の翌年の作品なのですね。


以前から知っている作品でしたが、改めて、じっくりと鑑賞できました。

ところで、この「ハヘトリデー」とはなんでしょうか。どのような日なのでしょうか。

長くなるので、続きます。

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