2011年3月31日木曜日

杉野学園衣装博物館:ウォルトとドゥーセ



ウォルトとドゥーセ-オートクチュールからみた女性の装い-
2010年9月24日~2011年4月8日
杉野学園衣装博物館

プロダクト系の展覧会に行って展示品を見て、ああこれはどうやって使うのだろう、どういう仕組みになっているのだろう、と思ったことはありませんか。美術館におけるデザインの展示は、もっぱら表象としてのデザインに焦点が当てられることが多く、機能性など本来の用途が等閑にされることが少なくありません。一般の観覧者は消費の側面からモノを見ているのですからそれもよいかもしれませんが、モノをつくっている立場からするともっと深いところも知りたくなります。デザイナーの側から見た場合でも、思想の側面であって技術的な話はあまりありません。

現在杉野学園衣装博物館で開催されている「ウォルトとドゥーセ」展は、つくるという視点からドレスを見た、貴重な展覧会です。

展覧会の中心は、メゾン・ウォルトでつくられたイブニングドレスの復元。衣装博物館開館50周年を機会に行われたプロジェクトだそうです。


復元ドレス。報告書から。

プロジェクトの目的は、「デザイン、素材、パターン、構成、縫製方法などその時代が要求した服飾造形を総合的に調査研究し、可能な限り原資料に近似のドレスを復元制作すること」。「調査研究、復元にあたって、材料、染料等の素材分析、オリジナル資料の調査・復元、オリジナル資料の保存・展示に関して、多くの研究機関の研究者、専門家の方々のご協力をいただいた」そうです(現代衣装の原点を探る—ウォルト作品の復元:報告書PDF)。

この復元というのは、ただ見た目の再現ではありません。ドレスがどのようにつくられていたかを20世紀初頭のオリジナル資料=イブニングドレスから分析し、それに基づいて新たにドレスを作り上げるのです。その視点は科学史、技術史と共通する部分があります。たとえば、ある発明が人びとにどのような影響を与えたのかを考察することも大事ですが、なぜ発明されたのか、どのようにつくられたのか、何が新しかったのかを考えることも大切なことではないでしょうか。モノはつくられなければ存在しませんし、人びとの手に渡らなければ、影響を与えることもありません。ウォルトのイブニングドレス復元プロジェクトと今回の展覧会は一般受けはしないかも知れませんが、モノの歴史に対するアプローチの重要な方法のひとつでしょう。

問題があるとすれば、そのモノに対する深い知識がなければならない点。自ら縫い上げる技量がなければ、そもそも復元のための調査すら難しいのではないでしょうか。

報告書(iii頁)によれば、今回のプロジェクトの研究経費は3年間で3500万円。この中にはドレスの復元だけではなく、オリジナル資料の保存、復元資料の展示、研究成果を公表するためのウェブサイトの構築なども含まれています。とはいえ、同様のプロジェクトを簡単に行えるような金額ではありませんね。


* * *

建物も素敵。


| meguro | mar. 2011 |

2011年3月30日水曜日

東京都写真美術館:スナップショットの魅力:
ポール・フスコ『RFK』と九州新幹線開通CM



収蔵作品展 [かがやきの瞬間] スナップショットの魅力
2010年12月11日 ( 土 ) ~ 2011年2月6日 ( 日 )
東京都写真美術館 3階展示室

もう2ヵ月近く前のことになりますか。2月のはじめに見てきました。

アンリ・カルティエ=ブレッソンやジャック・アンリ・ラルティーグ、木村伊兵衛などの古典的作品から、 荒木経惟や森山大道、そして鷹野隆大の近作「カスババ」シリーズまで、多様な作品。「スナップショット」ということばがどのような撮影行為を指しているのか、逆によく分からなくなりましたが、良い展覧会でした。

良かったのは、ウォーカー・エヴァンズ(Walker Evans, 1903-75)の地下鉄シリーズ(1938-41)。NYの地下鉄で、向かいの席に座る人びとを隠し撮りしたものです。現代のコンテクストではこのような撮影行為は問題がありそうですが、撮られることを意識していない人びとの姿、風俗は、作品としても魅力的ですし、歴史という視点からも貴重なものです。

そしてなによりも良かったのは、ポール・フスコ(Paul Fusco, 1930-)の「RFK Funeral Train」(1968)。暗殺されたロバート・F・ケネディの棺を運ぶ葬送列車を見送る人びとを、列車の中から撮影したものです。


Paul Fusco, RFK, Aperture edition, Sep. 2008, p. 43.

展覧会のリーフから引用します。

ポール・フスコ Paul Fusco 1930-
「ある夏の暗い日、『ルック』マガジンの編集者は、私が事務所に着いて顔を見るなりすぐに切り出した。「ポール。ボビーの棺をワシントンDCへ運ぶ列車がペン・ステーションからでる。それに乗ってくれ。」私はきびすを返し、カメラとフィルムを持って電車に乗った。」(ポール・フスコ)
現在マグナム・フォトのスタッフ・フォトグラファーとして雑誌や新聞などに記事を掲載するフスコが、まだ駆け出しの頃に携わった仕事は、暗殺されたロバート・F. ケネディの棺を運ぶ列車の窓から、追悼する人々の姿を撮影することだった。1968年6月5日、NYからワシントンDCまで通常4時間の走行距離を、ゆっくりと走るFuneral train(葬式列車)。それを見送る大勢の人たち。フスコは8時間のあいだ、コダクロームで2000カットを撮影するが、『ルック』マガジンは、結局この写真を掲載せず、長い間日の目を見ることはなかった。30年の沈黙を経て、90年代末からヨーロッパに出はじめた「RFK Funeral Train(ロバート・F. ケネディの葬式列車)」を本展では紹介。


Paul Fusco, RFK, Aperture edition, Sep. 2008, p. 57.

フスコの言葉は、写真集のあとがきに記されているものです。英文も引用しておきます。

On that dark summer day, shortly after I arrived at the office, William Called me. As I entered his office he looked up and said, "Paul, there's a train at Penn Station that's going to take Bobby's coffin to Washington, D.C. Get on it!" It was a command. I turned around, got my cameras and film, and got on the train, stopping first to photograph the memorial services at St. Patrick's Cathedra.
Paul Fusco, RFK, Aperture edition, Sep. 2008, p. 223.


Paul Fusco, RFK, Aperture edition, Sep. 2008, p. 37.

写真美術館のHPによると、プリントは日本初公開だそうです。


Paul Fusco, RFK, Aperture edition, Sep. 2008, p. 111.


Paul Fusco, RFK, Aperture edition, Sep. 2008, p. 149.


Paul Fusco, RFK, Aperture edition, Sep. 2008, p. 159.


Paul Fusco, RFK, Aperture edition, Sep. 2008, p. 129.


Paul Fusco, RFK, Aperture edition, Sep. 2008, p. 191.


Paul Fusco, RFK, Aperture edition, Sep. 2008, p. 107.


Paul Fusco, RFK, Aperture edition, Sep. 2008, p. 99.

フスコが所属するマグナムフォトによるフスコの紹介。

ポール・フスコ Paul Fusco
アメリカ人
1930年マサチューセッツ生 - 
ニュージャージー在住
1930年、アメリカのマサチューセッツ州に生まれる。
1940年代より写真に興味を示し、1951年から3年間写真家としてアメリカ陸軍通信隊に所属する。1957年、オハイオ大学でフォトジャーナリズムの学士号を取得。同年より1971年の長きに渡り「ルック」誌を代表する専属写真家として活躍し、アメリカ各地を取材した。
1974年、多くのマグナムの写真家の推薦によって正会員として迎えられた。70年代には、集中して4冊もの写真集を出版、一躍名声を得た。
個展もニューヨークやサンフランシスコで開催され、またメトロポリタン美術館やニューヨーク近代美術館でも作品が展示され、大きな反響を呼んだ。最近では、メキシコのサパティスタ、エイズ問題や、チェルノブイリ事故の後遺症問題などに取り組んでいる。
2000年には、1968年のロバート・ケネディの遺体を運ぶ列車の中から沿道の人々を撮影した写真集「RFK Funeral Train」を編纂し、大きな反響を呼ぶ。世界各地で展覧会も開かれた。
http://www.magnumphotos.co.jp/ws_photographer/fup/index.html

次のサイトで、フスコのこの作品の一部を見ることができる。


次のビデオは葬送列車からみた沿線の人びと。フスコの写真も挿入されています。



* * *

このエントリは本当は3月11日に書こうと思っていたものです。ちょうど前日ぐらいに、3月12日に予定されていた九州新幹線全線開通記念のCMが話題になっていました。Youtubeでそれを見てポール・フスコの作品を見たときのことを思い出したのです。

JR九州のCMは、特別に仕立てたCM撮影列車がその車窓から沿線で開通を祝う人びとを撮影したものです。



すばらしいCMだと思いました。が、開通を前にして大震災が起きてしまった。新幹線は予定通り開業したものの、祝賀行事はすべて中止。現在このCMは放映未定だそうです。残念なことです。私もウェブログに書く気力がなくなってしまって、この件をしばらく放置していました。

Picasaには車窓からの写真もアップロードされています。



「Picasa ウェブ アルバム - 祝!九州」より。


「Picasa ウェブ アルバム - 祝!九州」より。


「Picasa ウェブ アルバム - 祝!九州」より。


「Picasa ウェブ アルバム - 祝!九州」より。

かたや葬送の悲しみ。かたや開通の喜び。感情のベクトルは真逆を向いているのですが、どちらもその真剣な気持ちがカメラのレンズを通して、写真、映像を見るものに直接語りかけてくる。フスコの『RFK』も、JR九州のCMも、人の感情を揺さぶります。表現上の類似はさておき、このふたつに共通するものはなんなのだろう、と考えています。

* * *

今回の展覧会とは関係ありませんが、ポール・フスコにはもうひとつ代表作があります。それはチェルノブイリ周囲の子供たちの写真。震災による原発事故を受けて、話題になっています。こちらも、次のサイトで一部の写真を見ることができます。閲覧注意。


* * *

20110501追記

調べてみると、バドワイザーのCMに似たものがあるとのこと。



見てみました。たしかに、車窓から、という点は同じ。楽しいCMですが、感動するというのとは違う。フスコの写真やJR九州のCMとの違いは、「人」でしょうか。


2013.3.1追記

「祝! 九州」のCMがポール・フスコの「RFK」がきっかけであったことが『日経デザイン』2012年5月号(34-35頁)に書かれていました。これまではオマージュであろうと推測していましたが、担当者がそのように語っています。

企画制作を担当したのは、電通コミュニケーション・デザインセンターのアートディレクター正親篤氏。

ポール・フスコの写真集『RFK Funeral Train』では「写真の中の人々は当然、皆、沈うつな表情をしている。これを見た正親氏は『これが全部笑顔だったらどうなるだろうか』と考えた」のだそうです。

もうすぐ九州新幹線全線開通、そして震災から2年ですね。

2011年3月29日火曜日

クリエイションギャラリーG8:
亀倉雄策賞の作家たち1999-2010



亀倉雄策賞の作家たち1999-2010
クリエイションギャラリーG8
2011年2月22日(火)~ 3月25日(金)

戦後日本のグラフィックデザインの礎を築き、東京オリンピックポスターをはじめ数々の名作を残した、故・亀倉雄策氏(1915~1997)。氏の生前の業績をたたえ、グラフィックデザイン界の発展に寄与することを目的として1999年に「亀倉雄策賞」が設立されました。本展は、歴代の受賞作家の作品を一望する初めての展覧会です。第1回から第12回(2010年)までの「亀倉雄策賞」の11名の受賞作と近作、そして「亀倉雄策国際賞」の海外作家4名の作品をご紹介いたします。この10年のグラフィックデザインを代表する作品の数々を、ぜひご覧ください。

庭園美術館での展覧会に出品されていたポスターのほとんどが非商業的なポスターであったという話(→こちら)の続き、です「亀倉雄策賞の作家たち1999-2010」展の作品も同様でした。商業的なグラフィックはほとんどありません。

過去12回の受賞作品リストは以下の通り。

第 1 回 田中一光 「サルヴァトーレ・フェラガモ展:華麗なる靴」ポスターほか

第 2 回 永井一正 個展「Life」ポスター
第 3 回 原研哉 『紙とデザイン』ブックデザイン
第 4 回 佐藤可士和 CD「Smap」発売告知ポスター
第 5 回 仲條正義 個展「仲條のフジのヤマイ」ポスター

第 6 回 服部一成 『流行通信』ブックデザイン

第 7 回 勝井三雄 作品集「視覚の地平 visionary ∞ scape」ポスター
第 8 回 該当作品なし
第 9 回 松永真 「ISSIMBOW “Katachi-koh”」パッケージ
第10回 佐藤卓 21_21 DESIGN SIGHT 企画展「water」VI、ポスター、会場デザイン

第11回 植原亮輔 「THEATRE PRODUCTS」グラフィックツール
第12回 浅葉克己 「ミサワ デザイン2009 バウハウス」ポスター

純粋に商業的なグラフィックは、佐藤可士和氏の「Smap」プロジェクトぐらいでしょう。服部一成氏の仕事はエディトリアルであって、広告ではない。松永真氏の「ISSIMBOW “Katachi-koh”」パッケージは、松永氏自身がデザインディレクターを務めるお香のブランドの仕事。これは商業的グラフィックに含まれるでしょうか。植原亮輔 「THEATRE PRODUCTS」はファッションブランドのためのツール類。これらを除くと、展覧会ポスターか、デザイン書の装幀です。


展覧会サイトより。

では、「亀倉雄策賞」とはどのような賞なのか。

亀倉雄策賞について
賞の運営と選考は、亀倉氏が設立から長く会長を務めた、社団法人日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)と、亀倉雄策賞事務局で行っています。「亀倉雄策賞」は毎年、年鑑『Graphic Design in Japan』出品作品の中から最も優れた作品に、「亀倉雄策国際賞」は3 年に一度、富山県立近代美術館で開催される「世界ポスタートリエンナーレトヤマ」の応募作品の中から、最も優れた作品の制作者に授与されます。
亀倉雄策賞の作家たち1999-2010 リクルートの2つのギャラリー

「『Graphic Design in Japan』出品作品の中から最も優れた作品」ということです。では『Graphic Design in Japan』とは何か。

アジア最大のデザイン団体・JAGDAが、1981年より発行している年鑑『Graphic Design in Japan』。毎年、厳正な選考の末、自信を持って推薦する作品群を豊富な図版で紹介しています。1,000点以上におよぶ図版を、各作品の制作目的とともに、カテゴリーごと氏名50音順に掲載。また、全JAGDA会員の都道府県別名簿(メールアドレスとURL含む)に加え、コピーライター、フォトグラファーなどのインデックスも収録。世界に誇る日本のグラフィックデザインの粋を集めつつ、データベース性も持たせた、他に類を見ないデザイン年鑑です。
JAGDA:Graphic Design in Japan 2010

『Graphic Design in Japan』にはまだあたっていませんので、もともとの収録作品のどの程度が非商業的グラフィックなのかは分かりません。追って調べてみましょう。

* * *

そもそもこの展覧会のタイトルにある「作家たち」という言葉にもひっかかります。と思っていたら、次のようなtweetが。



なぜ「デザイナーたち」ではないのでしょう。「作品」ということばも難しい。英語のworkは、もっとニュートラルなイメージなのですが。制作物、仕事……。アートっぽくない、良い言い回しはないでしょうか。

くれぐれも言っておきますが、亀倉雄策賞の受賞作品が優れていないということではありません。そうではなくて、このような場でなぜデザイナー本来のビジネスが評価されにくいのだろうか、という疑問です。デザインは、デザイナーは、どこを目指しているのでしょう?

2011年3月28日月曜日

東京都庭園美術館:
20世紀のポスター[タイポグラフィ] 02

庭園美術館の20世紀のポスター[タイポグラフィ]展、最終日に再訪しました。チケットが余っていたものですから。


| shirogane | mar. 2011 |

前日土曜日の混雑を聞いていたので、庭園美術館の人混みを見るのも一興かと思いましたが、午前中はふつうでした。午後は大変混んでいたようです。図録も売り切れたとか。


| shirogane | mar. 2011 |

感想はすでに書いたとおり(→こちら)。改めて、展示されているポスターに偏りを感じました。作品のすばらしさ、好き嫌いは別のはなしです。優れた作品が多数あります。しかし、その多くが展覧会の告知ポスターであり、商品広告のポスターが数えるほどしかないことには違和感があります。


| shirogane | mar. 2011 |

そこで、図録に掲載されている作品を、クライアントの分野別にカウントしてみました。誰の役に立つのか分かりませんが、とりあえず私の好奇心は満たされるので(笑)。

分類は、1. 展覧会告知、2. 展覧会以外のイベント告知、3. 公的部門、4. 商品広告を除く企業広告、5. 商品広告。なお、展覧会告知にはデザイン系のイベント、美術系大学でのイベント告知ポスターを含みます。

結果は次の通り。

  分類
点数
1. 展覧会告知
53
2. イベント告知
31
3. 公的部門
9
4. 企業広告
8
5. 商品広告
8
合計
113

出品されているポスター113点のうち、展覧会告知とイベントの告知を合わせると84点、それ以外が25点。
企業がクライアントとなっているポスターは16点。しかも商品広告にはカッサンドルやサヴィニャックら、イラストが主体の作品が含まれており、タイポグラフィのポスターと呼べるかどうか微妙なものが大半です。

おおむね印象通りでしたが、意外なのは公的部門の少なさ。そういえば、ソビエトのポスターが少ない。これが影響しているかもしれません。試しに国別の点数も示してみましょう。

  国
点数
スイス
33
アメリカ
28
日本
21
イタリア
8
ドイツ
8
フランス
4
イギリス
4
オーストリア
2
ポーランド
2
デンマーク
1
ソビエト
1
フィンランド
1
合計
113

スイスが33点、次いでアメリカが28点です。アメリカのポスターはシリーズで出品されているものも個別にカウントしているので、圧倒的にスイスのポスターが多い。しかも、ドイツ語圏のものだけです。他の国も含め、ドイツ語圏という分類で数えると43点。半分まではいきませんが、かなり多い。対して、ソビエトのポスターは1点のみ。ポーランドが2点。
これだけ偏りがあると、竹尾コレクションの出自も検討しなければなりませんね。

竹尾コレクションは、

ヨーロッパを中心にアメリカ、ロシア、日本などの主に20世紀のポスターを広く収集していた、ニューヨークのラインホールド・ブラウン・ギャラリー・ポスターコレクションを、株式会社竹尾が創業100周年記念事業の一環として1997年に購入したものです。
竹尾ポスターコレクションは、多摩美術大学に寄託され、株式会社竹尾と多摩美術大学グラフィックデザイン学科による共同研究として、1998年より様々な視点からコレクションの研究に取り組んでいます。

竹尾ポスターコレクション | 竹尾の文化活動 | 会社情報 | 竹尾

うーん、ここからはコレクションの方針はよく分かりません。アメリカのポスターが多いのは、アメリカで蒐集されたから、でしょうか。日本が多いのは、コレクションとは別に今回の展覧会のために出品されたものがあるからです。

まとめると、非商業ポスターが8割強。ドイツ語圏ポスターが4割弱、スイスとアメリカで5割強。日本を加えると7割強。

コレクションもしくはセレクションにバイアスがあると前提すると、今回の展覧会のタイトルは、正確には「20世紀スイスとアメリカのタイポグラフィによる非商業的ポスター(併催日本のポスター)」展ということになりましょうか。

バイアスがないと前提すると、別の可能性が考えられます。ここではいくつかの仮説を提示するに留めます。

  • ポスターはもともとイベント告知(含展覧会)のためのものであって、商品広告のものは少ない。だからタイポグラフィのポスターにおいても商品広告は少ないのだ。
  • 展覧会告知のためのものであるから、実験的な作品をつくることができ、それゆえ優れたものが多い。
  • タイポグラフィの試みは、常にスイスがリードしてきた。
  • モダニズム=スイス vs ポスト・モダニズム=アメリカ の構図が存在する(ところでスイスにポストモダンはあるのか?)。

思いついたらまた追加します。

* * *

先のエントリでも書きましたが、展示のキャプションの情報が少ない。それは悪くないのですが、国名が示されていないのは妙です。今回、ドイツ語のポスターが多いことは、展覧会に関連するtweetの会話でも散見されましたが、はたしてスイスのポスターと認識されていたかどうか。私はソビエトのポスターだと思ったらアメリカだった、というものがありました。ポスターのテキストが英語だから、当然といえば当然なのですが……。でもアメリカだけが英語圏ではありませんしね。会場で配布していた出品リストにも国名は入っていませんでした。




20世紀のポスター[タイポグラフィ]
——デザインのちから・文字のちから——
東京都庭園美術館
2011年1月29日〜3月27日

2011年3月27日日曜日

白井晟一:松濤美術館 02

白井晟一:松濤美術館 01」からのつづきです。


| shoto | mar. 2011 |

2月半ばに松濤美術館を訪ねたおりに、受付で表の水飲み場について尋ねたところ、すぐに学芸員さんを呼んでくれました。学芸員さんによれば、これは水飲みと思われる。使いかたはよくわからない。少なくともこの10年は機能していない、ということでした。


| shoto | mar. 2011 |

汐留ミュージアムで白井晟一展が開催されているためか、ここのところ建築としての松濤美術館を訪ねて来られる方が多いそうです。新橋からは銀座線で一本ですしね。このあいだは汐留から10人の団体さんが来たとのこと。学芸員さんもそのような方たちへの応対には慣れているようで、水飲みについて質問するだけのつもりであった私に、建物の中も案内してくれました。感謝。


| shoto | feb. 2011 |

建築ツウの方たちならばすでにご存じのことばかりだと思いますが、構造もさておき、細部に興味惹かれました。
水飲みの水栓もそうですが、白井晟一は至るところにオリジナルのオブジェを配しているようです。


| shoto | feb. 2011 |

親和銀行別館(懐霄館)ではスプリンクラーもオリジナルだとか(『日経アーキテクチュア』2008/9/8、54-57頁)。

この案内パネルもそう(↓)。


| shoto | feb. 2011 |

表示部分が柔らかい磁石のパネルでできていて、剥がすことができる。表と裏には別の内容がプリントされてるので、裏返せば別の案内に。
また、磁石なので↓のように鉄製の防火扉に貼り付けることもできる。


| shoto | feb. 2011 |

とても便利に使っていますと、学芸員さん。


| shoto | feb. 2011 |

本体は琺瑯製だと思います。
破損しているものもあるのだけれども、すでに修理してくれるところがない、ということでした。


| shoto | feb. 2011 |

階段室の照明もオリジナルですが、これは静岡の石水館(静岡市立芹沢銈介美術館)でも使われているとのこと。


| shoto | feb. 2011 |

噴水は既製品を使ってオリジナルの構成にしているとか。


| shoto | feb. 2011 |

松濤美術館には何度も来ていますが、建物を観察するのは初めてです。
床の色、素材がフロアごとに違います、とか、
トイレの内装もすべて異なっています、とか、
トイレの扉に貼ってある表示は去年つくった新しいものでオリジナルだけど1000円位だった、とか(笑)、
へえー、とか、ほー、とか言いながら案内していただきました。


| shoto | feb. 2011 |

汐留の白井晟一展に出品されている松濤美術館の図面は、設計初期のもの。館長室の場所などは現状と異なりますが、開館時から建物にはほとんど手が入っていないそうです。どの段階で水飲み場が設置されたのか、興味ありますね。


『白井晟一全集 図集III 公共施設』同朋舎出版、1988年、256頁。赤丸は水飲み場。

見せてはもらえなかったのですが、館長室はすごいらしいです。
何がすごいのかというと、調度類。
おそろしい額を費やしているそう。金額も聞きましたが渋谷区民が憤るといけませんので伏せておきます。昔の話ですから。でも、どんなものなのかは見てみたい。
金額については、親和銀行本店のすごい調度類について、社史ですでに読んでいた私の感想は、まあそんなものかと。

* * *

松濤美術館を訪れたこの日、地下会場では「松濤美術館公募展」が開催されていました。展示されていた作品のなかに、イラストレーター田代卓さんの作品を発見!


田代卓「Tsukinowaguma」
『松濤美術館公募展作品集』、2011年2月、18頁。

水飲み場の話を聞きに行っただけだったのに、いろいろ得した気分です。

2011年3月26日土曜日

白井晟一:松濤美術館 01

建築家白井晟一設計の渋谷区立松濤美術館。


| shoto | mar. 2011 |

そして、入り口の右手壁にある水飲み場。


| shoto | mar. 2011 |

その水栓がとても不思議なカタチをしていることはすでに書きました(→こちら)。


| shoto | mar. 2011 |

これが汐留ミュージアムで開催されている白井晟一展に出品されている蛇口の石膏模型に似ている。それを確かめに汐留と渋谷をそれぞれ再訪してしまったというわけです。

展覧会会場は撮影不可ですので、へたくそなスケッチ(図録に写真が収録されていないのです)。


同じカタチのものでした。
ただし、展覧会に出品されていたものは、前橋の書店「煥乎堂(かんこどう)」のためのもの。キャプションには「蛇口のマケット、煥乎堂、1954年」とあります。石膏には松濤と同じ「PVRO DE FONTE」の文字のほか、「1954」という年号が刻まれています。

煥乎堂にどのような水栓が用いられていたのか、白井展に出品されていた写真ではよく分かりません。
図面に描かれているのは普通の手洗い水栓です(↓)。だだし、「水栓(蛇口)ハブロンズ鋳造彫刻型トシ其ノ形状及寸法ハ別ニ指示スル」とあります。


『白井晟一全集 図集IV 商業施設』同朋舎出版、1987年、186頁。

* * *

さて、「PVRO DE FONTE」はおそらく「Water Fountain」。
ということは、手洗いではなく、水飲みだと思います。
(→ 追記参照)


| shoto | feb. 2011 |

書体はGaramond系。

書体は古代ローマの碑文に用いられていたものに似ており、「Trajan」という書体がこれに近いです。


Trajan Pro Standard

白井晟一は原爆堂のプレートなどにも同じ書体を使用しています。


* * *

2月半ばに松濤美術館を訪ねたおりに、受付で表の水飲み場について尋ねたところ、すぐに学芸員さんを呼んでくれました。学芸員さんによれば、これは水飲みと思われる。使いかたはよくわからない。少なくともこの10年は機能していない、ということでした。

つづきます。
こちら

* * *

20120222追記

以下のサイトによると、煥乎堂の現在の建物に白井が設計した当時の手洗いが移設されているそうです。


また、「PVRO DE FONTE」は「知識湧き出す泉」とあります。
Google翻訳のラテン語では「PVRO」の訳が出ません。
とりあえず参考まで。

2011年3月25日金曜日

ggg:デザイン 立花文穂



私には立花文穂の生み出すものを説明する語彙がない。
なので、この感覚を、私の知っている他のことばに置き換えてみる。

インキの匂い。
埃の匂い。
油の匂い。
擦ると手が汚れる古い新聞紙。
乾いたスタンプ台。
かすれたマジック。
松葉、あるいはメタセコイヤの落ち葉。
廊下の砂埃。
錆びた釘。
床に落ちた画鋲。
変色したセロテープの跡。
剥がれた絆創膏。
指のささくれ。
擦り剥いた膝。

くしゃくしゃにした紙ヤスリで、見るものの心に跡を付けていく。
洗っても血が滲んでくる。
傷が治るまで記憶に残り続ける。
傷の跡が消えることはあるのだろうか。

そういうデザイン。
そういう展示。



デザイン 立花文穂
2011年3月4日(金)~ 3月28日(月)
ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ggg)

2011年3月24日木曜日

見本帖本店:祝いのカタチ


社団法人 日本パッケージデザイン協会 創立50周年記念
「祝いのカタチ」展
2011年3月4日(金)~29日(火)
見本帖本店


日本パッケージデザイン協会の創立50周年記念を記念した展覧会が開催されています。協会所属の102人のデザイナーたちが、それぞれ1点ずつ、「祝い」をテーマとしたオリジナルの作品を制作。
その作品を見本帖本店2階で見ることができます。
震災の影響で会場はしばらく閉じていましたが、3月22日から再開。

作品集の表紙は紅白の水引。


デザイナーたちの提案は様々なのですが、この作品集の装幀はあまりにもフツウではありませんか。

とはいえ、紅白、熨斗、水引が私たちの「祝事」のイメージであることは確か。展覧会で良いなと思った作品もこのイメージを内包したものばかりなのは、私が保守的なのでしょうか。

小川裕子〈うさぎ祝儀〉、『祝いのカタチ』51頁。

徳久綾美〈祝いの付箋〉、『祝いのカタチ』133頁。

松坂浩良〈HAPPYハレハレ〉、『祝いのカタチ』183頁。

西川圭〈祝いのハンコ〉、『祝いのカタチ』141頁。

* * *

いろいろな提案があり、どれもとても面白かったのですが、無条件で「祝い」をイメージさせるものをピックアップするとこんな感じです。

で、私たちが共有するこのイメージが古くから存在するものなのかといえば、どうもそうではない。

「赤白」はおめでたい色の組み合わせ、となって久しい。…ここでは、「赤白」をめでたい色調としてひろく日本人が共有するようになったのはいつか、を問いたい。……すると、どうも古くまではさかのぼれないのである。赤白を祝儀の色調とする、その通年の定着は近世以降のこと、といわざるをえないのである。
神崎宣武「祝いのかたち小史」『祝いのカタチ』六耀社、2010年12月、4-7頁。

民俗学者の神崎宣武氏に依れば、赤白の水引は遣隋使=小野妹子起源説が席捲しているそうです。しかし上層階級におけるしきたりはさておき、庶民にそのイメージが普及したのはいつかとなれば、「江戸以前にさかのぼるものではない。ひとり水引にかぎらず、今日に伝わる祝儀や不祝儀にまつわる『形式文化』の醸成は江戸時代にある、とみてよいのだ」。そして、神崎氏はそのイメージが強化されるのが明治時代、日章旗の制定とともにあると考えているようです。

となれば、私たちの「祝事」のイメージはたかだか100年余の歴史しかもたないことになります。伝統的な日本文化が薄れつつある現在、次の100年で私たちは新たな「祝いのカタチ」をつくりだすことができるのでしょうか。

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伝統的なイメージを用いるとなると、どうしても目黒区美術館で開催されている「日本の伝統パッケージ」展に出品されているものと比べてしまいます。

〈千歳飴〉
目黒区美術館編『包む』ビー・エヌ・エヌ新社、2010年2月。

〈結納目録〉
目黒区美術館編『包む』ビー・エヌ・エヌ新社、2010年2月。

〈角樽 鶴・亀〉
目黒区美術館編『包む』ビー・エヌ・エヌ新社、2010年2月。

どうですか。
現代のデザイナーたちの提案は、これら伝統パッケージの力強さに及ばないような気がします。足りないのはなんでしょう。

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そんな中で、なによりも良かった作品。


吉田雄貴〈包んでようやく感じる輪郭〉、『祝いのカタチ』205頁。

「お祝いの気持ちをかたちづくろうと、具体的なモノを極力無くしていったら包むという行為だけ残りました」という作者のコメント。
ガラスのリボン。
見えないけれども、そこには気持ちがいっぱい包まれている。
スバラシイ。


なによりも気持ちが大切だ、というお話。