2010年1月31日日曜日
水飲み場:下丸子二丁目先
早朝の多摩川河川敷。古い水飲みの向こうに、沈みゆく満月。
二段になった水飲みの排水はいずれも本体の内部を通り、下の水受けに出る構造。水飲みの排水は外部に溝を切るものが多いので、これは珍しい。
白菜の切れ端は、このあたりの生活者の痕跡。
水受けに残った水が少しずつ排水溝に滴り、まるで水琴窟のように澄んだ響きを奏でていた。
2010年1月30日土曜日
2010年1月29日金曜日
水飲み場:仲東児童公園
2010年1月28日木曜日
2010年1月27日水曜日
世界堂のモナリザ 01
アッと驚くモナリザで有名な新宿の画材屋、世界堂さんのモナリザが妙に可愛いらしい。
なるほど、目がパッチリ、真っ赤な口紅まで! 世界堂さんにはずいぶんとご無沙汰なので知りませんでした。参考までに本物も掲げておきます。
昔はこんなんじゃなかったよ。というわけで、世界堂の新聞広告をすこしばかりクリップ。まずは、1984年のモナリザ。怖いですよ。
「アッと驚く」というよりも、口もとには「あ゛〜」というおどろおどろしい書き文字が似合いそうです。
続いて、1993年。ちょっと顔が違うようにも見えるのは、印刷の工合か、版がへたってきたのか。
「本店仮店舗」とあるのは、1990年2月24日早朝に本店が火事で燃えてしまったからなのですね。1994年に現在の本店ビルが完成しています。★下に追記★
そして、1995年。ずいぶんと可愛くなっている。
「あらまっ、びっくり」って感じですね。
意外なことに、いずれも広告の中で「モナリザ」を謳っていないのです。しかも決してオリジナルに似ていない(笑)。だけれども、誰もがモナリザと認識する。ダ・ヴィンチはすごいですね。
いずれの広告も原画と違って右を向いているのには訳があります(といっても推測ですが)。世界堂の広告は、常に新聞の見開き左端に掲出されているのです。だから、読者に対して目線で訴えるには右を向く必要があるのですね。(でも現在の世界堂版モナリザは左向きですが……)
さて、世界堂さんは有史以来ずっとこのモナリザの広告を出していたのだと思っていましたが、どうもそうではなさそうです。
1974年の朝日新聞の広告では謎の美女が用いられています。
読売新聞データベースでは1986年までの新聞画像を広告まで検索できるのですが、そのいずれもモナリザではなく、朝日と同様の謎の美女。
ちなみに、女性のイラスト入り広告と、下のような文字だけの広告が交互に出されていたようです。
朝日新聞には1984年にはモナリザが登場しているわけですが、読売新聞では1986年でも謎の美女。というわけで次の課題は、
いつから世界堂の広告にモナリザが登場したのか
です。乞うご期待(笑)。
調べてみました。
そこにはもっと恐ろしいモナリザが!!
世界堂の創業は昭和15年、「世界堂」の名称になったのは昭和22年という老舗。広告も、そして新宿という場所柄から、ちょっと野暮ったいというか、泥臭い雰囲気を感じていたのですが、池袋パルコ店の広告はヌーボー調のなかなか格調高い雰囲気のデザインと洒落たコピーで、これはとても意外でした。
2011年5月11日追記
新宿世界堂本店の火事、覚えていますか。
たまに、「世界堂 火事」というキーワードでこのウェブログに来る方がいらっしゃるようなので、ここにメモランダム。せっかく(?)ですので、新聞各社の写真を撮影された時間別に並べてみます。
『朝日新聞』。写真は朝7時4分。
そう、額装するために預けられていた作品が燃えてしまったのでした。
『読売新聞』の写真は午前8時撮影。
『毎日新聞』は午前8時30分すぎ。他社とは異なる角度からの写真です。窓の内側に炎が見えて生々しい。
『日経新聞』は路面からの撮影。撮影時間は不明です。
やっとかめ どっとこむ / モナリザもアッと驚く
→ http://yattokame.exblog.jp/12728387/
→ http://yattokame.exblog.jp/12728387/
なるほど、目がパッチリ、真っ赤な口紅まで! 世界堂さんにはずいぶんとご無沙汰なので知りませんでした。参考までに本物も掲げておきます。
* * *
昔はこんなんじゃなかったよ。というわけで、世界堂の新聞広告をすこしばかりクリップ。まずは、1984年のモナリザ。怖いですよ。
「アッと驚く」というよりも、口もとには「あ゛〜」というおどろおどろしい書き文字が似合いそうです。
続いて、1993年。ちょっと顔が違うようにも見えるのは、印刷の工合か、版がへたってきたのか。
「本店仮店舗」とあるのは、1990年2月24日早朝に本店が火事で燃えてしまったからなのですね。1994年に現在の本店ビルが完成しています。★下に追記★
そして、1995年。ずいぶんと可愛くなっている。
「あらまっ、びっくり」って感じですね。
意外なことに、いずれも広告の中で「モナリザ」を謳っていないのです。しかも決してオリジナルに似ていない(笑)。だけれども、誰もがモナリザと認識する。ダ・ヴィンチはすごいですね。
いずれの広告も原画と違って右を向いているのには訳があります(といっても推測ですが)。世界堂の広告は、常に新聞の見開き左端に掲出されているのです。だから、読者に対して目線で訴えるには右を向く必要があるのですね。(でも現在の世界堂版モナリザは左向きですが……)
* * *
さて、世界堂さんは有史以来ずっとこのモナリザの広告を出していたのだと思っていましたが、どうもそうではなさそうです。
1974年の朝日新聞の広告では謎の美女が用いられています。
読売新聞データベースでは1986年までの新聞画像を広告まで検索できるのですが、そのいずれもモナリザではなく、朝日と同様の謎の美女。
ちなみに、女性のイラスト入り広告と、下のような文字だけの広告が交互に出されていたようです。
朝日新聞には1984年にはモナリザが登場しているわけですが、読売新聞では1986年でも謎の美女。というわけで次の課題は、
いつから世界堂の広告にモナリザが登場したのか
です。乞うご期待(笑)。
調べてみました。
そこにはもっと恐ろしいモナリザが!!
世界堂の創業は昭和15年、「世界堂」の名称になったのは昭和22年という老舗。広告も、そして新宿という場所柄から、ちょっと野暮ったいというか、泥臭い雰囲気を感じていたのですが、池袋パルコ店の広告はヌーボー調のなかなか格調高い雰囲気のデザインと洒落たコピーで、これはとても意外でした。
* * *
2011年5月11日追記
新宿世界堂本店の火事、覚えていますか。
たまに、「世界堂 火事」というキーワードでこのウェブログに来る方がいらっしゃるようなので、ここにメモランダム。せっかく(?)ですので、新聞各社の写真を撮影された時間別に並べてみます。
『朝日新聞』。写真は朝7時4分。
朝の新宿 道路マヒ
画材店1120平方メートル焼ける
二十四日午前四時四十分ごろ、東京都新宿区新宿三丁目、画材店「世界堂」付近から出火、鉄骨五階建ての店舗一棟と木造二階建ての倉庫二棟、計約千百二十平方メートルが焼けた。けが人はいなかった。
四谷署でくわしい出火場所や原因を調べているが、出火当時世界堂は無人だった。
…(略)…
同社によると、本店内には、売り物や額縁を直すために顧客から預かっている油絵、掛け軸など四、五千点があったという。この中には、米ロサンゼルス在住の版画家で、八四年五輪の時の同市公式ポスターなどで有名な山形博導(ひろみち)氏の作品数点も含まれていた。四谷消防署は、一点が二、三百万円の作品もあり、損害は作品や画材だけで約三億円にのぼるとみている。
…(略)…
『朝日新聞』1990年2月24日、夕刊19頁。
そう、額装するために預けられていた作品が燃えてしまったのでした。
『読売新聞』の写真は午前8時撮影。
『毎日新聞』は午前8時30分すぎ。他社とは異なる角度からの写真です。窓の内側に炎が見えて生々しい。
…(略)…
建物は増築を繰り返して老朽化していたため火の回りが速く、店内には絵の具などの可燃物が多かったことから、出荷から七時間以上たった正午ごろまでくすぶった。
…(略)…
『毎日新聞』1990年2月24日、夕刊11頁。
『日経新聞』は路面からの撮影。撮影時間は不明です。
水飲み場:羽田弁天橋あたり
2010年1月26日火曜日
羽田あたり
2010年1月25日月曜日
公園遊具:南光公園のプリン山
2010年1月16日土曜日
デザイン史なのか、デザイン思想史なのか
メモランダム。
経済学の領域には、現実の経済現象を把握するための理論的枠組みを考察する分野と、現実経済を運用するための手段を構築する分野とがある。その歴史領域もまた、ふたつに分かれる。ひとつは経済学史/学説史で、もうひとつは経済史である。前者は経済思想、経済理論変遷の歴史を扱う。後者は過去の実体経済を発掘・考察し、そこに現れるさまざまな因果関係をさぐるもの。ときおり両者を混同する人がいるが、扱う対象も、その意味・目的もまったく異なる。
デザインの歴史研究に関しても、このアナロジーで「デザイン史」と「デザイン思想史」とを明確に区分すべきではないだろうか。「デザイン史」をタイトルとするテキスト、大学の講義のシラバスを見ていると、「デザインの歴史」ではなく、まったくの「デザイン思想の歴史」であるものが多い。ウィリアム・モリスやバウハウスが登場するものは、基本的に思想史である。思想はその形成に同時代の現実を反映しているかもしれないが、その目的は我々デザイナーはどのようにデザインすべきかというヴィジョンを示すものであり、決して現実に存在する/存在したデザインを合理的に説明するためのツールではない。
デザイン思想の歴史をトレスするテキストに登場する事例は、基本的にその思想に基づく模範作品である。もちろん、それが思想史ならばよい。モリスとその影響、バウハウスの思想とその影響を描くならば何の問題もない。しかし、それが「デザイン史」を名乗るとなるといささか問題がある。なぜならば、同時代のオブジェクトがすべて同じ思想の下につくられているとは考えられないからである。いや、むしろそのような思想の下につくられたオブジェクトは、現実世界ではきわめて少数派である。彼らの考えるユートピアとはそもそもnowhere、どこにもない仮想の世界を対置することによる現実批判であり、当然のことながら批判対象となる現実は多数派である。その多数派をまるで存在しなかったかのように扱う歴史とはなんなのか。
こうした「デザイン史」の状況の理由として、神戸大学の中山修一先生は、イギリスのデザイン史の例としてデザイン史が主にポリテクを中心とするデザイナー養成の場において発展してきたことをあげている。「つまり英国のデザイン史研究は、純粋に学術的な地平から発生してきたのではなく、より有能なデザイナーを養成するための教育的観点から要請されたものなのである」*。
* 中山修一(1995)「デザイン史の再構築へ向けて」『神戸大学発達科学部研究紀要』第2巻第2号、371頁。
→http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81000196.pdf
こうした背景ゆえ、デザイン史の視点はつねに作り手の側にあり、その目的はよいデザインのための思想と方法論の構築にある。よいデザイン以外を知ることは、批判対象としての役割を除けば彼らにとってまったく無用の作業であり、デザイン史に求められてきたのもグッドデザイン思想の系譜であったということになる。だがそれでよいのだろうか。
Yahoo!知恵袋にこんな質問がありました。
デザイン思想史の典型的な例です。
* * *
経済学の領域には、現実の経済現象を把握するための理論的枠組みを考察する分野と、現実経済を運用するための手段を構築する分野とがある。その歴史領域もまた、ふたつに分かれる。ひとつは経済学史/学説史で、もうひとつは経済史である。前者は経済思想、経済理論変遷の歴史を扱う。後者は過去の実体経済を発掘・考察し、そこに現れるさまざまな因果関係をさぐるもの。ときおり両者を混同する人がいるが、扱う対象も、その意味・目的もまったく異なる。
* * *
デザインの歴史研究に関しても、このアナロジーで「デザイン史」と「デザイン思想史」とを明確に区分すべきではないだろうか。「デザイン史」をタイトルとするテキスト、大学の講義のシラバスを見ていると、「デザインの歴史」ではなく、まったくの「デザイン思想の歴史」であるものが多い。ウィリアム・モリスやバウハウスが登場するものは、基本的に思想史である。思想はその形成に同時代の現実を反映しているかもしれないが、その目的は我々デザイナーはどのようにデザインすべきかというヴィジョンを示すものであり、決して現実に存在する/存在したデザインを合理的に説明するためのツールではない。
デザイン思想の歴史をトレスするテキストに登場する事例は、基本的にその思想に基づく模範作品である。もちろん、それが思想史ならばよい。モリスとその影響、バウハウスの思想とその影響を描くならば何の問題もない。しかし、それが「デザイン史」を名乗るとなるといささか問題がある。なぜならば、同時代のオブジェクトがすべて同じ思想の下につくられているとは考えられないからである。いや、むしろそのような思想の下につくられたオブジェクトは、現実世界ではきわめて少数派である。彼らの考えるユートピアとはそもそもnowhere、どこにもない仮想の世界を対置することによる現実批判であり、当然のことながら批判対象となる現実は多数派である。その多数派をまるで存在しなかったかのように扱う歴史とはなんなのか。
* * *
こうした「デザイン史」の状況の理由として、神戸大学の中山修一先生は、イギリスのデザイン史の例としてデザイン史が主にポリテクを中心とするデザイナー養成の場において発展してきたことをあげている。「つまり英国のデザイン史研究は、純粋に学術的な地平から発生してきたのではなく、より有能なデザイナーを養成するための教育的観点から要請されたものなのである」*。
* 中山修一(1995)「デザイン史の再構築へ向けて」『神戸大学発達科学部研究紀要』第2巻第2号、371頁。
→http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81000196.pdf
こうした背景ゆえ、デザイン史の視点はつねに作り手の側にあり、その目的はよいデザインのための思想と方法論の構築にある。よいデザイン以外を知ることは、批判対象としての役割を除けば彼らにとってまったく無用の作業であり、デザイン史に求められてきたのもグッドデザイン思想の系譜であったということになる。だがそれでよいのだろうか。
* * *
Yahoo!知恵袋にこんな質問がありました。
大学のデザイン史の課題です。表現主義と機能主義の対立する事例を一つ選び、今日の問題と比較し考察せよ。
……
近代から現代に至るデザイン史の底流に対立理念として表現主義と機能主義とがある。前者は美術・工芸の世界を背景として個性に関連するものであり、後者は近代産業と社会の世界を背景とし没個性を目指すものである。この対立する事例を一つ選び、今日の問題と比較し考察せよ。
表現主義と機能主義についての調べはついたのですが、対立している事例がわかりません。
→http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1333555748
デザイン思想史の典型的な例です。
2010年1月12日火曜日
鶴見線国道駅
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