2009年12月30日水曜日

看板二題

乙女チック*。

手水のつかいかた
| koshigoe | dec. 2009 |

ライオン、なのか? ライオン、なのだろう。

ライオンに注意
| koshigoe | dec. 2009 |

いずれも腰越、小動(こゆるぎ)神社にて。

* 全国各地の神社で目撃されている有名な説明パネルのようですね。「手水のつかいかた」で検索。

木になるねこ


| enoshima | dec. 2009 |

標題の通り。

2009年12月24日木曜日

横浜ベイクォーターのクリスマスツリー


| yokohama | dec. 2009 |

横浜ベイクォーターのクリスマスツリー。大きな樅の木の下には、明かりの灯った小さな家々。


| yokohama | dec. 2009 |


| yokohama | dec. 2009 |

派手なイルミネーションが流行のなか、とても渋い演出。

2009年12月21日月曜日

戸板関子:家庭顧問(4)

戸板学園創設者、戸板関子女史による読売新聞のなんでも相談コラム「家庭顧問」。今日も戸板先生の快答は冴え渡る。

紙面の都合なのか、先生の性格なのか、しばしばとてもぶっきらぼうな回答があってとても面白い。


『読売新聞』1920年11月4日朝刊04面、家庭顧問:戸板關子

1920年11月4日
【問】白麻布に汗の為黒い色が移りましたのは何で洗つたら落とすことが出来ますか(伺女)
【答】お尋ねのやうな汚點は素人にはとても抜けません


『読売新聞』1920年11月4日朝刊04面、家庭顧問:戸板關子

1921年1月26日
【問】象牙製の煙管や櫛などが、やにや油じみて變色したのを以前の通りにするには如何したらよいでせう(あさ子)
【答】褐色に色附くのが象牙の性質で御座いますからいたしかた御座いません

1922年9月5日
【問】フライや天麩羅を造る時にメリケン粉は粉の儘まぶしますか水に溶いて包みますか
【答】メリケン粉は卵を以て溶く


『読売新聞』1922年09月21日朝刊04面、家庭顧問:戸板關子

1922年9月21日
【問】セルロイドの切れたのを修繕する方法をお知らせ下さい(S生)
【答】不可能であります

戸板関子:家庭顧問
01:http://tokyopasserby.blogspot.com/2009/10/blog-post_08.html
02:http://tokyopasserby.blogspot.com/2009/10/2_26.html
03:http://tokyopasserby.blogspot.com/2009/11/3.html

2009年12月15日火曜日

ニューオータニ美術館:野口久光の世界





生誕100年記念
グラフィックデザイナー 野口久光の世界
香りたつフランス映画ポスター

ニューオータニ美術館(紀尾井町)
2009年11月28日~12月27日

ニューオータニ美術館は地味に良い展覧会を開きますね。

野口久光氏は1933年に東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業後、東和商事に入社。フランス映画を中心とした多数の映画ポスターを手掛けられました。今回の展覧会には1000点にもおよぶという作品の中から約60点のポスターとその他の資料が展示されています。

私は映画は殆ど見ないので、ポスターの内容について語るものはなにもないのですが、ポスターそのものはじつにすばらしい。このような表現が適切かどうか分からないのですが、野口氏は本当に絵がうまい。

だいたい2週間ほどの制作期間が与えられたそうですが、実際にはタイトルが決まらない、変更になるなど、1週間ほどで描かなくてはならかったとのこと。時間を節約するために活字を使わず、タイトルばかりか、監督や出演者名など細かい部分までをも描き文字で処理! それがまたよいのです。

展示は印刷されたポスターでしたが、「旅情」(1964年)のみ原画とポスターが並べられていました。印刷物では上部に1行のみ活字が追加されていますが、それ以外は、絵も描き文字も1枚の紙の上に完結しています。すばらしい構成力。この原画に至るまでにどのようなスケッチを描いていたのか、知りたいところです。

もうひとつ見るべきものは、野口氏の「若き日の映画ノート」です。展示されていたのは1928年と1933-34年のものでしたが、洋画のタイトル、監督、配役などが細かい文字(すべて欧文)で書かれたノートです。とくにタイトルにはひとつひとつ異なる装飾文字が用いられています。ノートというその構造上、見開いたページしか見ることができないのがとても残念です(図録に掲載されているのも見開き4ページ分のみ)。

* * *

野口久光氏以前の洋画ポスターはどのようなものであったのか、メモ。

それまでの映画のポスターは江戸時代からの広告媒体である「引札」や「役者絵」の流れを踏襲したようなものが多く、絵も描かれている人物の表情もタイトル文字も色調がどぎつく、ポスターの構図も作品の内容が異なっていても一定のお約束事のなかで処理され、パターン化されていた。……
そんな時代に、的確なデッサン力に裏打ちされ、表現力も豊かで、色彩感覚もヨーロッパ調の洗練された絵と、流麗でなおかつ作品ごとに異なった書き文字のレタリングで表された野口作品は、極めて異彩を放つものだった。

根本隆一郎「映画ポスター・デザイナー 野口久光」(展覧会図録、78頁)。

展覧会図録。



根本隆一郎『野口久光展図録』開発社、2009年12月。
Amazon.co.jpに掲載されていますが、残念ながら「この本は現在お取り扱いできません。」だそうです(2009.12.15現在)。

ところで、図録には会場に掲げられた解説文はすべて収録して欲しいと思います。メモする時間がなくて図録を買うこともあるのですから。

2009年12月12日土曜日

信号機のある風景 04:
GKデザイン 西新宿サインリング

西新宿サインリング
| nishi-shinjuku | dec. 2009|

新宿のこのあたりに来ることはあまりないのですが、秋田道夫氏の信号機の展覧会を見て以来信号機に目がいくようになってしまった私。近くに行ったついでに見てきました、GKデザインの西新宿「サインリング」。

googleで検索すると「もしかして: サイクリング」と表示されます(笑)。リストされるサイトもほとんど「サイクリング」関係。

どうやら、「サインリング」という単語が市民権を得たようで、この場所に関する記述がヒットするようになりました(2013.2)。

西新宿サインリング
| nishi-shinjuku | dec. 2009|

で、「サインリング」。「新宿警察署裏交差点」に設置されています。

非常に重たそうな信号機がいくつも附いています。十字路なのに妙にいくつも信号機が附いていて、運転手は自分が見るべき信号がどれなのか迷わないのでしょうか。

| nishi-shinjuku | dec. 2009|

輪の内側に入ると、すこし不思議な感覚になります。

西新宿サインリング
| nishi-shinjuku | dec. 2009|

そうですね、自分の眼が魚眼レンズになったような感覚でしょうか。頭の中の知識、経験は、信号機の支柱は直線であると教えているのですが、眼に映る光景はサークル状。

「常識」に基づいた経験と感覚を破壊するということは、じつはこの「サインリング」はアヴァンギャルドな構造物なのかもしれません。


大きな地図で見る

上空から見ると、まるで写真の上に丸くマークしたように見えます。


2009年12月8日火曜日

公園遊具:上落合西公園の船

船の形をした台座に3つの滑り台。


| ochiai | dec. 2009|

周囲の構造物は波を模しているのだろうか。


| ochiai | dec. 2009|


| ochiai | dec. 2009|


| ochiai | dec. 2009|

砂の海にはちいさなボートが浮かんでいる。


| ochiai | dec. 2009|


| ochiai | dec. 2009|

水飲み場はピンク色。


| ochiai | dec. 2009|


大きな地図で見る

* * *

中央環状新宿線・上落合の換気塔。夕暮れどきに巨大な存在感。


| ochiai | dec. 2009|

汐留ミュージアム:ウィリアム・ド・モーガン展



ウィリアム・ド・モーガン 艶と色彩-19世紀タイルアートの巨匠-
2009年10月17日(土)~12月20日(日)
パナソニック電工 汐留ミュージアム
http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/

今回の展覧会は、図録冒頭に「日本ではこれまで殆ど紹介されることのなかった」(図録3頁)とあるように、ド・モーガン紹介編と言うべき構成。ド・モーガン制作のタイルの展示を中心に、内容は多岐にわたっていた。

よかったのは、最後の「室内装飾のタイル」のうち、タイルパネルの展示である。他のコーナーは基本的にそれぞれのタイル1枚ずつの展示であったが、タイルパネルは一つの主題を複数のタイルで絵画的に構成したものである。どうしても個々のタイルから全体像を想像するのが困難であったのに対して、タイルパネルはそれ自体で完結しているので分かりやすかったのだ。

【メモ】
  • ウィリアム・ド・モーガン(William Frend De Murugan, 1839-1917)は、イギリスの数学者・論理学者*オーガスタス・ド・モーガン(Augustus De Morgan, 1806-1871)の息子。(* 展覧会図録8頁には「倫理学者」とあるが、wikipediaには「logician(論理学者)」とある。おそらく図録の入力ミス。)
    http://en.wikipedia.org/wiki/Augustus_De_Morgan
  • 妻イヴリン(Evelyn De Morgan, 1855-1919)は、ラファエル前派の画家。母方の伯父でありイヴリンの絵の教師でもあったジョン・ロッダム・スペンサー・スタナップ(John Roddam Spencer Stanhope, 1829-1908)もラファエル前派第二世代の画家とされる。
    http://en.wikipedia.org/wiki/Evelyn_De_Morgan
    http://en.wikipedia.org/wiki/John_Roddam_Spencer_Stanhope
  • ウィリアム・モリス(1834-1896)との出会いは1863年。ステンドグラス作家ヘンリー・ホリデー(Henry Holiday, 1839-1927)の紹介。モリス、ホリデー、エドワード・バーン・ジョーンズ(Edward Burne-Jones, 1833-1898)との交友は生涯続いた。
    http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Holiday
  • ウィリアム・ド・モーガンとイヴリンは1887年に結婚。ウィリアム48歳、イヴリン32歳のときか。年齢差16歳。
  • ラスター彩再発見のための実験により、財政的には破綻状態に。
    http://www.screenonline.org.uk/tv/id/1284993/index.html
  • 1900年頃になると、ド・モーガンのスタイルは時代遅れに。作品は賞賛されたが、彼に多くの収入をもたらすことはなかった。
    http://www.demorgan.org.uk/biogs/will_dm.htm
  • 65歳で小説を書き始めて5冊がベストセラーになり、ド・モーガン夫妻の老後の財政を助けた。
    http://www.demorgan.org.uk/biogs/will_dm.htm 
  • この展覧会に出品されているコレクションは、ド・モーガンの妻イヴリンの妹、ウィルヘルミナ・スターリング(Wilhelmina Stirling, 1865-1965)の蒐集品。スターリングは姉と義兄の作品の収集に努め、彼女の死後、1969年にド・モーガン財団が設立される。このコレクションを展示する施設は2002年になってようやくウェスト・ロンドンに開設された(ただし、同館サイトによると現在移転のため休館中)。
    http://www.demorgan.org.uk/
* * *

図録に掲載されている吉村典子氏の小論「ウィリアム・ド・モーガンと『アーツ・アンド・クラフツ』」(図録、68-72頁)が良い。

誰がド・モーガンのタイルを買ったのか。

ド・モーガンのタイルをふんだんに使って住宅を完成させた百貨店経営者アーネスト・デベナム(Ernest Debenham, 1865-1952)もその一人[=イスラム趣味の蒐集家]である。……
レイトン、デベナムのような本物志向のオリエンタリストたちを満足させたのが、ド・モーガンのタイルだったのである。……
これらの住宅の施主は、巨万の富を得た産業資本家たちである。こうした住宅が建てられた1870-80年代は、ド・モーガンのタイルが、他のどのメーカーよりも高価であった時代である。ド・モーガンのタイルは、趣味や表現とともに、こうした時代の『富』とも結びつくものであった。

吉村典子「ウィリアム・ド・モーガンと『アーツ・アンド・クラフツ』」(展覧会図録、70-71頁)

ウィリアム・モリスと生涯にわたって親交があり、一時期はモリスと工房を並べて制作を行っていたと言うが、ド・モーガンの製品は、いわゆる「アーツ・アンド・クラフツ」のものであったのか。

「田舎家風の素朴さを洗練さとして取り入れた『アーツ・アンド・クラフツ』の建築と、ド・モーガン・タイルの主張性のある文様や艶やかな色の世界は異質のものであったのである。……
このように、ド・モーガンの制作をめぐる動きやその作品は、『アーツ・アンド・クラフツ』であって『アーツ・アンド・クラフツ』でないのである。

吉村典子「ウィリアム・ド・モーガンと『アーツ・アンド・クラフツ』」(展覧会図録、72頁)

展覧会図録。





* * *

ド・モーガン展を見終えて外に出ると、もう外は暗くなり、イルミネーションが点灯していました。

この日はだいぶん荒れ模様の天気でしたが、大きなカメラを持った人たちもたくさん。濡れた地面に映る光もまた美しく、雨の日も悪くありません。とはいえ、この辺りは時折強いビル風が吹き、折りたたみ傘がひっくり返ってしまったりもしましたが。


| shiodome | dec. 2009 |


| shiodome | dec. 2009 |


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2009年12月6日日曜日

東京都立中央図書館

東京都立中央図書館に行った。


| hiroo | dec. 2009|

銀杏の黄葉がまぶしい。

展示室のアンケートに答えて「みんくる」のシールをもらう。少しうれしい(笑)。



みんくるとは……
東京都のシンボル(8):バスストップ
http://tokyopasserby.blogspot.com/2009/10/8.html

* * *

帰り道。広尾駅周辺では空気で膨らませたクリスマスのデコレーションがそこここで、モコモコうごめいていた。


| hiroo | dec. 2009|


| hiroo | dec. 2009|


| hiroo | dec. 2009|

2009年12月4日金曜日

「パリに咲いた古伊万里の華」展:個人蒐集家



「日本磁器ヨーロッパ輸出350周年記念 パリに咲いた古伊万里の華」展
2009年10月10日(土)~12月23日(水)
東京都庭園美術館(白金)

今年10月15日は、日本磁器が初めてヨーロッパに向けて公式に輸出されてから350年目に当たります。本展はこれを記念し、ヨーロッパに渡った古伊万里を蒐集した碓井コレクションの中から、選りすぐりの名品を紹介します。

http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/koimari/index.html

展覧会に出品している蒐集家、碓井文夫氏に関する記事が『週刊新潮』に出ていました。以下抜粋。

「欧州で『古伊万里』を収集した『碓井文夫氏』の財力」

……パリ在住の所有者、碓井文夫氏(77)がいう。「95年。パリの蚤の市で色絵花瓶を購入したのがきっかけです。その後は、ロンドンやパリの骨董店を歩いて集めました。代理店を通すと値がつり上がるので、自分で足を運んでいます」
……購入費も相当なものになる。
「不動産の賃貸料や工業技術の特許料などの蓄えでなんとかやり繰りしています。昭和1ケタ生まれなので倹約が身体に染みついてますからねえ。古物商巡りも健康維持法の一つです」

『週刊新潮』2009年11月5日号、125頁。

刺激的なタイトルながら、たいしたことは書かれていませんでした。もっとも、ご本人は経歴を明らかにされない方針のようですので、あまり詮索してはいけませんね。

* * *

昨年4月、やはり東京都庭園美術館で開催された「オールドノリタケと懐かしの洋食器」展の場合も、守屋知子氏という個人蒐集家のコレクションを中心とする展覧会であった。

東京都庭園美術館
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/2008/noritake.html

さてこの守谷氏もどのような方なのだろう……と、会場の係員に尋ねたところ、「皆さんによく聞かれるのですが、ふつうの主婦の方のようですよ」と教えてくれた。みんな考えることは同じだ。同館のプレスリリースに、以下のように書かれている。

主婦の(?)パワー守屋コレクション

今回の展覧会は、主に守屋知子さんという方のコレクションから作品をお借りして展示しています。展覧会をご覧になったお客様の反応で意外なほど多いのが、「守屋コレクションの守屋さんって、どんな方ですか?」という質問です。これだけの点数をコレクションされる方がどんな方なのか、ということにみなさん関心を覚えるようです。
美術工芸品のコレクターといえば、代々続く名家の方やセレブなのでは・・・と想像してしまいますが、守屋さんとご家族は「主婦の趣味が暴走したもの!」とおっしゃっています。学生時代にペルシア陶器を研究した守屋さんは、子育てが一段落したことをきっかけに大学で再び研究をはじめ、今度は日本のラスター彩(ペルシア陶器を源流とする技法で、金属光沢のある釉薬を用いたもの)をテーマとされ、その研究資料としてコレクションをはじめられたそうです。今回展示されているのはコレクションのほんの1割程度ということですので、その規模には驚かされます。ご家族の協力や理解も不可欠だったことと思いますが、どうしてここまで素晴らしいコレクションが生まれたのでしょう。

http://www.teien-art-museum.ne.jp/news/pdf/20080512-noritake-sokuho.pdf

守谷氏と美術館学芸員との対談も聞いたが、碓井氏同様、骨董市などを丹念にまわって集められていると語っていた。

* * *

いわゆる大金持ちではない骨董蒐集家はたくさんいるし、骨董商、蒐集家たちのモノやそれにまつわる歴史についての知識が生半可なものではないことは、なんでも鑑定団など見ていればわかる。とはいえ、それらの知識が多くの場合ミクロ的であるようにおもう。

それに対して、守屋知子氏、あるいは碓井文夫氏の蒐集品は、「骨董愛好家」という枠を越えた学問的な体系に基づいている、マクロ的視点があることが特徴であるといえようか。

守谷氏の場合、

筑波大学日本語・日本文化学類研究生として近代洋風陶磁器と日本文化の関係について研究を行ない、成果となる論文も発表された。そうした研究を元に、近代洋風陶磁器産業の歩みを異文化交流のひとつとして位置づける独自の視点からひとつずつ作品が集められた。主にアメリカなど海外市場向けにデザインされた製品と、日本国内市場向けに開発された製品を対比させ、デザイン手法の変遷にみる戦前の日本における洋風生活様式の定着の過程を探ろうとする意図が守屋コレクションの特色である。

鈴木潔「守屋コレクションにみる洋風陶磁器産業の歩み」『オールドノリタケと懐かしの洋食器』展覧会図録、2008年、8頁。

またご自身も、「日本の洋風陶磁器―そのデザインの生成」という論考を図録に寄稿ししている。

碓井文夫氏の場合は、前・佐賀県立九州陶磁文化館館長の大橋康二氏の指導の下に、日本磁器輸出350周年となる2009年を目指して古伊万里を蒐集した、と記している(碓井文夫「目指した2009年」『パリに咲いた古伊万里の華』展覧会図録、2009年、16-17頁)。

趣味と言うよりも、美術館や博物館がテーマに合わせて展示品を蒐集するようなコレクションのスタイルなのである。守谷氏の場合は自ら歴史を学びながらそれを実証する品々を集め、碓井氏の場合は外部の助力を得ながらこれを実現する。ただ海外の美術館・博物館の優品を持ってきただけの展覧会よりも、その内容は数段素晴らしい。

ただ、いずれも展覧会として見たときに、個人の蒐集品で構成することの限界を感じなくはなかった。背後のストーリーと、実際の展示がうまくつながっていないと感じられる部分もある。明確なテーマを以て、深い思い入れとともに集められた蒐集品の間を、たとえば他の美術館、蒐集家のコレクションによって補うことができたら、さらにすばらしい展示になると思う。そしてそのことは、おそらく守谷氏や碓井氏の蒐集の目指すところでもあろう。

* * *





コレクション、あるいはパトロンということについて、考えた記事
実業家と美術 | metabolism


2009年12月3日木曜日

公園遊具:戸山公園のキリンたち


| toyama park | nov. 2009|

妙にリアルな仲間たちです。


| toyama park | nov. 2009|

キリン、ライオン、シマウマと、隠れていますが象がいます。


| toyama park | nov. 2009|


| toyama park | nov. 2009|

妙なリアルさを演出しているのは、この目つきでしょう。それにしても耳が折れ、ガムテープで処置してあるのが痛々しいかぎりです。


| toyama park | nov. 2009|

象。ちょっと寸詰まり。


| toyama park | nov. 2009|

ふつう、公園の遊具はそれによじ登ったりして遊べるようになっているのですが、この動物たちの造形はリアルさを追求しすぎて遊具としての機能をあまり果たしていないような気もします。


大きな地図で見る

……右カーブの文字が気になる。

2009年12月2日水曜日

タイポロジック:活字のチカラを考える



活字ルネサンス
「タイポロジック─文字で遊ぶ、探る、創る展覧会」
2009年10月16日[金]―12月18日[金]
SPACE NIO(東京・大手町/日本経済新聞社2F)
http://www.typologic.net/


折り紙や組紐でアルファベットをつくるのが楽しい。
パソコンで入力した装飾文字をプリントして持ち帰れるのが嬉しい。
きっと子供が楽しい展覧会。
子供が楽しい展覧会は良い展覧会。
なのに、基本的に土日は休みなのだ。

*  *  *

会場で上映されていた大日本印刷の活版印刷の記録映像がとてもよかった。大日本印刷は2003年に活版印刷を終了している。映像は活字の原型制作から組版、校正(ゲラ)刷りまで、当時の制作工程を、古い雑誌ページの原稿をもとに再現する様子を追ったもの。

私が就職したのは1990年代初めだったが、現場はすでにすべて写植(電算・手動)になっており、残念なことに活字に触れる機会はまったくなかった。なので、活版印刷については、文献と制作物によって知るのみである。インテルとかクワタとか、言葉も役割も知ってはいたが、机上の知識。映像で見るまでは非常に漠然としたイメージでしかなかった。



どんな世界にも熟練は必要だが、活版印刷の現場もまた独特である。文字ごとに仕切りのついたボックスから原稿に合わせて活字を拾い出し、組んでゆく。そこまでは想像の範囲なのだが、表組み工程には圧倒された。罫線を必要な長さに切り、文字を均等に配置するためにスペースを調整する。ただ、電算写植のコーディングが、その場では仕上がりが分からない状態で進めてゆくことを考えれば、まだ実物感覚があるのかもしれないが、なんと手間の掛かることよ。



DTPでも活字のイメージを残した書体を利用可能だし、大日本印刷でも「秀英体」活字のデジタル化を進めているそうだ。ただ、「書体」が利用できると言うことと「活版印刷」とは、また別の問題。



活字で組む、印刷するという作業からは、文字というものがたんに伝達の為の記号であるだけではなく、モノとしてリアルに存在していることを感じる。



大日本印刷のサイトで、活版印刷の工程を写真で見ることができる。現場を体験してみたかったと思う。

探検!市谷工場活版現場 | DNP 大日本印刷株式会社
http://www.dnp.co.jp/shueitai/tanken/index.html

八木重吉 詩集『神を呼ぼう』

写真は八木重吉の詩集『神を呼ぼう』(新教出版、1950年)から。ことばも文字も美しい。美しい文字がうつくしいことばを伝える。